ホセ・ムヒカという人物
副業とは、『時間の消費からの脱却』であり、「自分の命の砂時計と向き合うこと」と前記事でお伝えしました。
この考えが、間違いではなかったことを確信した、日本でも一大ムーブを巻き起こした人物をご紹介します。
その人物の名は、ホセ・ムヒカ。
- ※ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ( José Alberto Mujica Cordano, 1935年 – )
- 2009年11月の大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めた。。愛称はエル・ぺぺ 報酬の大部分を財団に寄付し、月1000ドル強で生活している。
- 彼は大統領になっても、一般市民も驚く非常に質素な生活を続け、「世界一貧しい大統領」とも呼ばれ、日本でも多数の関連本、彼の生き方に若者を中心に共感が広がった。
- 「大統領は職務を遂行する為に選ばれた、国王でもなければ神でもなく、ただの公務員だ。」との言葉からも、彼の人柄がわかる。
私は仕事柄、多くの人に出会ってきた。
『その人の生き様は顔に出る』という言葉があるが、これは紛れもない真実である。
人を憎んで、嫉妬や競争ばかりしてきた人の表情(かお)と、多くの人に愛され、人のために行動してきた人の表情(かお)は残酷なほど、差があるのである。
私は、ムヒカさんの表情(かお)が大好きだ。
チャーミングで、何より全てを包み込む様な笑顔に癒される。同じ思いの人は少なくないだろう。
そのチャーミングな笑顔とは裏腹に、極貧家庭に生まれ壮絶な人生を歩んできたホセ・ムヒカ。
ムヒカは1935年にウルグアイの首都モンテビデオの貧困家庭に生まれた。モンテビデオ大学卒業後は家畜の世話や花売りなどで家計を助けながらも、1960年代に入って極左都市ゲリラ組織ツパマロスに加入、ゲリラ活動に従事する。ツパマロスと治安組織の抗争の激化、労働組合や職人組合の政治経済への反発といった時代のもと数々の襲撃、誘拐にたずさわる中で、ムヒカは6発の銃弾を受け、4度の逮捕(そのうち2回は脱獄)を経験する。
そして伝説のスピーチに世界は彼の言葉に 価値観を揺さぶられる。
2012年6月20日から22日までの3日間、ブラジル・リオデジャネイロにおいて、Rio+20 地球サミット2012 (国連持続可能な開発会議)が開催された。
188ヵ国3オブザーバーの97名の首脳と多数の閣僚級を含む約3万人が参加。そこでのムヒカ大統領のスピーチ(要約)がこちらです。
訳:打村 明さん
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください。ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費を
ひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリボ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払い終わった頃には、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます。
これが私の運命なのか?
私の言っていることはとてもシンプルなものです。
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
まとめ
ホセ・ムヒカさんの紹介によって私が伝えたかったことは、「物も人も消費される現代社会において、盲目的に仕事をしているだけだと、最後に手に残るのはローンの支払完了証くらいだ。」ということです。
人は誰1人として全く同じ人生はあり得ません。
それぞれみんな“ぶっつけ本番で〇〇の人生という物語の主人公”を日々更新しています。
今抱えている心のモヤモヤや不安は、『変わりたい』『このままではきっと後悔する』という内なる自分からのサインではないでしょうか。
どうせ無理だという言葉を捨てて、【どうやったら実現できるか】を一緒に考えようじゃありませんか。
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